反応の種
このブログを読んでくださり、ありがとうございます。
苦手な人、嫌いな人っていますよね。
その人の言動で何か自分にとって嫌な思いをした過去があるからです。
そお人の言動に対し、”嫌だ” という反応をしたということです。
そういう場合、自分の中に”反応の種”があります。
つまり、価値観です。価値観がないものには反応しません。
価値の判断基準が自分の中にあるということです。
そういう反応をした時、思考は常にその人に向かいます。
あの人は間違っている、と。
それは自分の判断基準で判断した場合、その人は自分と異なる言動をしたということで、間違っていると判定したわけです。
でも、その人の判断基準では、良いことをしたとその人は思っているはずです。
その良い悪いを議論したところで、何の解決にもなりません。
お互いの判断基準が変わらない限り、各々の判定は覆りません。なので、ずっと平行線のままです。
また、その判断基準は過去の経験からきているので、過去の経験が変わらない限り、判断基準も変わりません。
まぁ、過去の経験というのは、その人の見方によるものですから、見方が変われば、過去に経験したことに対する印象も変わる(つまり、経験が変わる)のですが、それは自分自身にも言えます。
だからと言って、他人の価値観を変えようとするのは、非常に難しいことです。
ということは、自分が変われば良いんです。
相手の価値観に合わせる必要はありません。その上の次元、高い視点、俯瞰した視点で、物事には良い悪いはないという立場になることです。
自分の中で、これは絶対に正しい、良いことだと信じていると、必ず、それに反した嫌いな人が現れます。
そういう時は、その人ではなく、自分の価値観をチェックしてみてください。
そして、自分の価値観が絶対正しいわけではないという前提で、思い返してみてください。
結局、どっちでもいいか、となります。
そうなってくると、苦手な人への対応も変わってきます。
柔よく剛を制す、みたいな、相手をいなすような感じで対応できます。
勝ち負けではなく、相手もそのまま、自分もそのままで良いということです。
嫌なことがあった時は、相手へ不満をぶつけるのではなく、いなしておいて、自分の価値観を発見できたことをラッキーと考えましょう。
二極のどちらが正解でその逆が間違いという価値観が消えていくと、外の出来事に振り回されることが減っていきます。