全自動

このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

久しぶりの投稿ですが、その間、考えていたことは、人生は全自動なのではないかということです。

”自分がこれを選んだ”、”自分の意思でこれをしている”、”自分はこれをしたい”、とか、大抵の人は”自分”が主体となって生きていると思います。

でも、肉体を見てみると、自分の意思で制御できないことだらけです。

身長がもっと高くなりたい、もっと体重を減らしたいと思っても、なかなか思うようにはなりません。

(体重は少しコントロールできますが)

爪や髪の毛が伸びるのを止めることはできません。

呼吸や心臓の鼓動を止めることもできません。

歩くとか、物を手に取る、喋る、見るとか、これらは自分の意思でやっているようにも思えます。

でも、細かいことは何も考えていませんよね。

歩くのに、どちらの足から前に出すか、関節の角度はどれくらい動かすのか、そのためにどの筋肉をどれくらいの力で動かすのか、地面への足の着き方、歩幅はどのくらい、…。

ロボットを動かすことを考えたら、人間の肉体というのは、実に便利にできています。

歩こうと思えば、細かいことを考えなくても歩けます。

喋ろうと思えば、口や舌の形や位置を気にせずに日本語が喋れます。

視覚や聴覚を停止することもできません。

癖というのもあります。

貧乏ゆすり、考えているときに髪の毛や顎を触ったり、人それぞれ何かしら癖があると思います。

それらも考えてしているわけでもなく、人から指摘されて自分の癖に気がつくこともあります。

では、思考や感情はどうでしょう?

思考を止めることはできますか? できる人もいるようですが、ほとんどの人は無理でしょう。

感情も勝手に湧き上がってきます。

思いつく、思い出す、忘れるというのも自動です。

勉強したことを記憶したいのに覚えられない、嫌なことは忘れたいのに忘れられない、ということは、思考や感情も制御できていないということです。

”自分”ってとても不思議な存在だと思いませんか?

外の世界(目に映る世界)にばかりに気を取られているのが普通ですが、たまには ”自分とは何か?” について考えてみるのも面白いと思います。

人生は全自動かも知れないと思う人もいれば、そうでない人もいるだろうし、興味がない人もいるし、考えたくもないという人もいるでしょう。

そこに正解も間違いもありません。

ただ、人生が全自動だと思えると、そこに良い悪い、善悪、深刻さなどが無くなります。