防衛本能
人間には防衛本能が備わっています。
自分自身の生命の維持のため、自分を守ろうとする本能です。
これは肉体的なことにも精神的なことにも働きます。
支配する側の人たちはこれを上手に使います。
いわゆる、脅しです。
でも、支配される側はそれに気付かず、うまく操作されています。
まさか、自分が操作されているなんて思っていないでしょう。
そんな人は一生、そこから抜け出せません。
子供の頃は、親に見放されると生きていけません。
だから、自然と親の顔色を伺うようになります。
大人になると世間の目を気にします。
世間って誰でしょうね?
人は自分を守るためにどんどん自由を失います。
これを自然のこと、当たり前のこととして、ほとんどの人が受け入れています。
それはそれで良いのですが、これによりストレス社会が成り立っています。
学校、会社、政治、メディアとかで、脅し文句がよく使われているのに気がつきませんか?
「こうするべきですよ」、「こうしないと、人に迷惑かけますよ」、「こうするのが常識ですよ」、「将来のためにこうしましょう」、「こうするのが幸せですよ」とか。
これらは脅し文句に聞こえないですが、物事に正解と不正解があって、不正解を選ぶと不幸になりますと言っているのと同じです。
常識を破ると、批判されますよ、怒られますよ、いじめられますよ、それは不幸ですよねって言われているということ。
これはすごく当たり前のことで、何も変じゃないし、どこが脅し?って思いますよね。
でも、そう思ってしまっているということが、支配者の思う壺にハマってるということ。
常識ってかなり妄想なんですよ。
子供の頃を思い出してみてください。
親や先生の言うことが正解だと思っている子供にとっては、言われたことを守ることが正解。
そうしないと、自己防衛できない。
そして大人になってもその考え方は変わることがない。
例えば、”人に迷惑をかける”ということについて考えてみましょう。
同じことをされても、迷惑と思う人もいるし、そう感じない人もいる。
ということは、自分が好き勝手やったからといって、必ずしも迷惑をかけるということではない。
逆に、自分が迷惑をかけないようにしたことが、他人の迷惑になっているかもしれない。
迷惑に思う基準や行動って人によって違うしね。
防衛本能が働きすぎると、起きてもいない現実を心配して、自分を抑え込むことが多くなる。
そして、それがストレス。
でも、自分を抑えることで、生命を維持していると思っているので、この状況はその人にとって仕方がない状況。
これが支配者側の狙い。
自分を抑えて生活する人は、支配する側からすると、とても扱いやすい人。
支配者はとても賢いので、巧みにソフトな脅しを使って、他人をコントロールします。
自分の無意識でやっていることをチェックしてみてください。
愛想笑いとか、過剰に気を使ったりしてませんか?
そんなことしてると、人と接するのが嫌になりませんか?
防衛本能の働き過ぎに気付いてください。
恐怖、不安、心配の感情が出てくるところが、過剰防衛しているところです。
恐怖、不安、心配を煽っている時、それは他者をコントロールしようとしている時です。
そんなに心配しなくても、なんとかなります。大丈夫。
僕も会社を辞めてしまったけど、ちゃんと生きてます。
それは貯金があるからだろって?
でも、貯金なんていくらあっても、恐怖や不安は出ますよ。
あと何年生きるのか、この先何が起こるかもわからない。
でも、そんなこと心配しても意味はないです。
心配とは、起きてもいない将来にフォーカスしているだけ。
何か起きたら、その時対処してもなんとかなります。
今までそうやって生きてきませんでしたか?
何が起こるかなんて、わかってなかったでしょ?
今、やりたいことをやって、自分独自の唯一の人生にすること。
それが生きるってことなんじゃないでしょうか?