自分が嫌なことは他人にしない
ある宗教のチラシが家のポストに入ってました。
「イジメはやめましょう、自分が嫌なことは他人にしてはいけません、地獄に落ちますよ」みたいな感じ。
自分が嫌なことと他人が嫌なことが同じというわけではないし、地獄に落ちるからと恐怖を煽って言うことを聞かせるというのも支配者のやり口です。
逆に自分が好きなことは他人にもしてあげましょうということになるのかな?
それこそ、好きなことって色々あるので、ありがた迷惑です。
じゃあ、大人は勉強が好きなのか? 仕事が好きなのか?
もし自分が嫌なら、他人に勉強しろ、仕事しろって言うのは、イジメと同じじゃない?
世の中は矛盾しています。これがピラミッド社会の歪みです。
大抵の宗教には、〜してはいけません、〜しましょう、という教えがあります。
実は、これが苦しみの元だったりします。
ストレスなく、満足して生活していたら、それもできるでしょう。
でも、ストレスを抱えながら、欲求不満な状態で我慢しながら宗教の教えを守るのは無理です。
それをさらに強く我慢することで悟れると信じて頑張るのですが、なかなかそんな境地に至りません。
だから価値があるのでしょうか?
宗教を批判するわけではないですが、僕は悟りとはそういうことではないと思います。
頑張った人は他人に優しくできるでしょうか?
僕の経験ではそう思いません。
頑張った人は、他人にも頑張ることを押し付けます。
自分ができたんだから、あなたもできるはずだ、と。我慢してもっと頑張れ、もっと頑張れって。
それで多くの人が幸せな気持ちになって生活しているのなら、正解ですが、そうなっていないのが現実だと思います。
この世界は二極の世界なので、楽しいことと苦しいこと、損と得とか、片側だけを経験するのは無理な世界になっています。
だから頑張ることは経験として必要ですが、頑張り続けても悟りの境地にも至らないし、幸せな気持ちにもなれません。
ここでいう幸せな気持ちというのは、享楽的な喜びではなく、平安な心のことです。
頑張った結果、うぇ〜いって享楽的な喜びを感じるのも楽しいですが、頑張ることに疲れたら、頑張ることをやめましょう。
やめて良いんです。なぜなら、幸せ(平安)の反対側を体験しているだけなので。
頑張るのをやめたら、違う世界が見えてきます。
どちらが好きかは人それぞれ。良い悪いはありません。
もし心が疲れてしまったら、頑張るのをやめてみましょう。マイペースで。