縄文時代
学校で縄文時代について勉強しますが、僕の覚えていることは、狩猟生活で縄文式土器、竪穴式住居を作ってたということくらい。
でも、日本人にとって、この時代は理想の時代だったと思います。
というのも、発掘されたこの時代の人骨には人間同士が争った痕跡がないらしいのです。
通常、海外も含め、どの文化でも発掘された人骨の数%は、武器による傷があって、これが戦争や人間同士の争いが起こった証拠になるそうです。
縄文時代は”与えあう文化”だったのでしょう。
みんなが協力して、食べ物や衣服、住居、子育て、皆が自分のできることをやって、協力して、自然と共に暮らしていたのでしょう。
遺跡から、高いレベルの文化があったことが最近わかってきたようです。
また、その頃の労働時間は4時間前後と推測されているようです。
これは今でも狩猟を中心に暮らしているどこかの原住民のかたの生活を参考に計算したものらしいです。
これが、朝から晩まで働いて、”奪い合いの文化”に変わっていったあのは、弥生時代からです。
外国から人が入ってきて、農耕が始まりました。
食料が確保しやすくなるというメリットはありましたが、それにより貧富の差ができました。
多くのものを持つ者と少ししか持たない者。
”所有”の概念が強くなったということです。
それまでは、”自然に存在するものはみんなのもの”という野性の動物と同じような感覚から、”誰かのもの”に変わったということです。
日本におけるピラミッド社会の始まりです。
権力者に支配される社会、そして、その権力を奪うために争い合う社会。
それが現在まで続いているというわけです。
でも、一時期、緩和された時代があって、それが江戸時代です。
士農工商という言葉も、僕が子供の頃は、江戸時代の武士が偉くて、農民が一番下の身分を表していると教えられましたが、あれは明治時代以降に中国の言葉をすり替えたもので、身分制度を表す言葉ではありません。
その江戸時代、260年間には外国と戦争することもありませんでした。
でも、明治維新以降、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争があり、今も戦争に直接参加していないとはいえ、援助している実態があります。
ここで言いたいのは、戦争反対とかではなく、日本人のルーツは縄文時代だということ。
みんなで平和な暮らしができるということ。
縄文時代は今のところ、1万5千年ほど続いたと言われています。
そんなに長い間、平和な文化を築けたのは、今の社会から考えると奇跡です。
古代日本の考え方を取り入れれば、平和になるということです。
それを社会や他人に向けても何の意味もありません。
他人は変えられません、変えられるのは自分だけです。
だから、自分の考え方を変えて、自分が平和になればいいのです。
そうすると、現実は変わります。
日本人にはその才能があるのです。ただ、眠って忘れているだけ。
自分が変わりたいと思えば、いつでもその才能は開花するでしょう。