個人の自由

たまに「それは個人の自由です」という言葉を聞きますね。

”ワクチンを打つか打たないかは個人の自由です”とか。

”個人の自由が認められる”ということは、個人の自由は認められないこともあるということ。

どちらかというと、個人の自由が認められていないことの方が多いかも。

普段の生活の中では多くの人が自分は自由だと思っていても、それは限られた世界の中での自由。

お金がないと欲しいものは手に入れられないし、法律、社会のルール、常識とかあって、それは自分勝手なことをしてはいけないということ。

でも、こんなにルールがたくさんないと生きていけないのでしょうか?

縄文時代に法律なんてありません。

お互いが尊重しあって、協力しさえすれば、種は保存されます。

だから縄文時代は1万年以上も続きました。

野生動物の中にもルールはあるかもしれません。

でも、それはきっとすごく単純のはず。

マウントの取り合い、比較して上下関係を作って、貧富の差を作るから、ルールがないと、下の人、つまり支配されている側の人が不満になって、悪いとされていることに手を出します。

そういう悪いことをさせないために、ルールを破ったら牢屋に閉じ込めるぞって恐怖で押さえ込んでいる状態。

そのためにルールが必要になっています。

逆に言えば、貧富の差とか、権力とかなければ、ルールも必要ないはず。

普段から満足して生きていれば、わざわざ悪いことをする必要がないし、しようと思いません。

悪いことをしたい時は、欲求不満だから。

だから、我慢するのではなく、自分の ”本当にしたいこと” は、我慢せずにすることが大事です。

”本当にしたいこと” というのは、”自分を表現すること”。

何か高価なものを買いたいとか、美味しいものを食べたいというのは少し違う場合が多いです。

それはストレス解消、つまり欲求不満の解消としてしたいこと。

そうではなく、そこに至る前の本当にしたいことを思い出す必要があります。

もし、やりたいことがわからないなら、まずはやりたくないことをやめることです。

やりたくないことを取り除いていけば、やりたいことが残ってきます。

仕事したくない、学校に行きたくない、家事をしたくないとかも、できる限り無理をしないことです。

仕事が嫌な人は、周りに合わせて遅期まで働いたり、できないことはできないと伝えるとか。

学校に行きたくない人は、楽しいことを見つけましょう。

辛い時は相談しましょう。

家事が嫌な人は旦那さんやお子さんにしてもらいましょう。

深刻にならずとも大丈夫です。

自分でなんとかしなければいけないと思い込んでいるだけ。

肩の力を抜いて、気楽に行きましょう。