平和は善ではない

わかりにくい概念だとは思いますが、平和を選ぶことが善ということではないです。

平和が正義というのも違います。

善悪の対立がある限り、それは争いということになります。

だから、このブログでよく出てくる言葉として、物事に良し悪しはないと言っています。

図にするとこんな感じです。

平和というのは争いがないということなので、それは善には属しません。

物事を善悪で判断している限り、心に平安は訪れません。

とてもシンプルですが、これを理解して腑に落ちるようになるには、なかなか難しいと思います。

人に迷惑をかけるのはダメだ、戦争は悪だ、と言いたいのは十分わかりますし、その通りです。

でも、それをする人は悪いことをしているとは思っていません。

自分の身を守るため、自分の利益を守るためにすることの何が悪いの?という感じでしょうか。

ミクロ的に見ると、善悪という判断が可能です。

でも、悪いことをする人にも事情があります。

それもひっくるめて悪と断定することはできません。

自分は善だ、正義だと思っている人でも、他人に迷惑をかけることもあるし、嫌な思いをさせてしまうこともあるでしょう。

一生、良い行いだけをすることは不可能です。

お釈迦さまも、王子という役目、奥さんや子供も捨てて出家しました。普通に考えれば、悪いことでしょう。

でもその結果、悟りの境地に辿り着いたのです。

だから悪いことをしてもいいと言っているのでもありません。

これは良いことだ、あれは悪いことだと判断しているうちは、本当の平和には辿り着けないということ。

これは無意識にやっています。

だから、自分が善悪、良し悪しのジャッジをしていることに気づくことが大切です。

その次に、その時の感情を感じ切って、本当に悪なのかを考えてみると、そうでもないことがわかってきます。そうなると、自分の価値観が変わって、見える景色が変わります。

感情を感じ切ることも重要なポイントです。

嫌な感情、ネガティブな感情が湧き起こりますが、それに蓋をすると、善悪のジャッジが続きます。

自分の価値観が変わるところまで辿り着かないから。

悪を懲らしめている限り、心に平和が訪れないことを知りましょう。